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子供のカウンセリング現場から-関係性

2004年7月1日(木) Vol.10

今日は、このスクールの卒業生でもある先生の講義。

先生は幼児教育に携わった経緯から子供の言語指導を行う際、当時の親に対しての説明のため、カウンセリングの必要性を感じつつ、実際に学校で勉強するまでには10年かかったそうだ。

先生曰く「主婦は、新しいことを求める一方で、今までの生活を手放せない何かがある。」という。

卒業後、NPOのカウンセリング施設で働くまでには、60才の年齢と未経験であることから採用を拒否され、それでも諦めず何度もお願いして、やっと働けたという経緯がある。

先生はこう言う「やりたいと思う心は、内側から叩かれる、内なる声がある」「自分に可能性のないことは、やりたくならない。」という。あぁ、そうだなーとすごく納得してしまう。

先生は、特に不登校のカウンセリングに力を入れている。そこから、今のカウンセリングに何が必要か?ということについてお話があった。

子供の事件を見るとき、その関係性の問題を目の当たりにするという。

あるグループでのいじめ問題があるとき、最近の傾向では、いじめとはっきり捕らえられないようないじめがある。

いじめとはっきりしない為、周りも対処に困り、いじめられている子供に、いじめではないから気にしないように促したりということがあるという。

しかし、いじめられている方が、それについて困った状態であることは変わらず、そう促されると、相談できる場を断たれてしまい、やがては周りに相談できる関係性を築けなくなる。

人との関係で、心の奥底を話す事ができない子供たちがたくさんいる。

今の大きな社会問題として、不安定な社会がある。

戦後の高度成長期には、国全体が、食べられる豊かな良い生活を目標に一丸となって進んできた。成績、大学、会社、給料が良いものという価値観で、その先には豊かな良い生活というにんじんであるご褒美、喜びが待っていた。

現代は、そのご褒美がない。元来、感性の鋭い子供たちは、それを察知しているのでなおさら喜びのない生活を送っている。国は、今まで築いたシステム“豊かさというにんじん”を失って混迷している。社会が不安定だと、人々は自分がより安定したいと欲するようになる。

また、仕事の面でも興味深いお話があった。

「自分にそぐわない事をしていると、その人の能力は60%しか引き出せない。今までの企業は、その60%の人を2人抱え120%とする余力があった。現在ではそんな余力はない。より人を活用するには、自由に楽しく自分らしくという生き方の元、その人の能力を活用すれば120%の能力を引き出させることができ、そこに着目する必要性がある。」という。

本当にもっともだ、企業は現能力主義に傾いたが、今こそ原点に戻って人の教育、活用、人づくりがお金を生み、国の再建に繋がることを考えて欲しい。

現代の問題を背景に、子供はより自分らしさを欲し、認めて欲しい欲求に駆られている。その一方で、監督者である親や先生など大人たちは、子供の行動ばかりは良く見ている。

行動についての問題をあれこれと話しているだけで、行動の裏にあるものを見ていない。そして、良いか悪いかの価値判断の押しつけをしている。ここで、日本人特有の価値観が浮き彫りになる。

目に見えない部分をおろそかにし、他者と比べて良いか悪いか、回りとの比較という流動性のある価値観で不安になっているところだ。

欧米では、宗教に基づく個人の自分らしさ、そこにあるありのままの価値を良しとする絶対的な肯定がある。

単一民族で、小さな集落からなる社会の日本は、生きるために集落内での協調性が必要とされてきた。行動や考え方の単一化を良しとしてきたのだ。それが、未だにみんなと一緒であることで安心を得るとか、流行の名の下同じ服、同じ持ち物という没個人へ繋がっていると思うと、根が深く恐ろしいと感じる。

自由をはき違えるのは危険だが、現代のこんなにも自由な世の中で、個の違いを認識しあうことの重要性を知ったのだから、迷うことなくそれに向かっていく世の中になっていい頃だと思うのだが…もう、世間様はそれほど見張ってやしない。

さて、子供の話に戻ると、子供を木に例え、「目に見える所の行動を枝葉の部分。目に見えない内面の心を根の部分。根(内面)が育っていないと風が来ると枝葉(行動)が大きく揺れる。風に耐えられず木が倒れる時、自分を傷つけたり、他人を傷つけたりする。」うーん誠にその通りだ。

行動は変わっても、元は変わっているのか? 病の時を例に、病で外見も変わりぶっきらぼうだったりしても、その時、内面の心の本質が変わっているとは言えない。

カウンセラーの役割は、根の部分(内面)を見ること。そのためには、まず私と私の関係性を良くする事が第一である。

私と私の関係性とは、自分のプラスの箇所とマイナスの箇所を認識し両方が自分であると自覚すること。

マイナス部分は常に認識されているので、プラスの箇所を再認識し私と私が仲良くするということだ。自己の確立、自己一致に繋がることだろうと思う。私自身がぎくしゃくした状態では、カウンセリングには望めないと言うことだろう。

何故にそのような状態が必要かというと「カウンセラーは常にエネルギーの低い、気分の悪い人に会う。気分の悪さは伝染する。カウンセラーが伝染してしまってはカウンセリングにならない。そのためには、自分の気分を常に良くしておく、私と私の関係性を良くしておく必要がある。自分の気分が悪いと、クライエントの悪い所しか見えないで、良い所がキャッチできない。」

「私と私の関係性を良くする事で、私とあなた(他者)の関係性が良くなることに繋がる。」という。

私は、今までカウンセリング勉強してきて、こういった話を聞くたびに、全て繋がっていると強く感じる。「自分が変われば相手も変わる」「過去と相手は変えられない」全ての鍵は、自分の内にあることなのだ。

それでは、どうやって私と私の関係を良くするのか?先生の話は続く。

「日々、自分の長所や家族の長所を書き、会った人に1人3回ずつ誉めましょう。」という。

これだけ聞くと、えっ?と思うかもしれない。日本人は特にマイナス面を指摘しそれを止めることに執着しているが、プラス面を認識し伸ばす、ポジティブさで意識改革をするのだ。

書く事の意味とは、まず、頭に思う。それを書く。できれば言葉にしてそれを言う。(自分の耳で聞く)。そして書いたものを見る。この繰り返しを行うことで、自分の認識を強めることができる。

学校の勉強でもこのような方法が、効果を挙げていることは良く知られていると思う。

全て脳に作用する方法だ。運動選手のイメージトレーニングなどもこれらの方法と繋がる。

やっぱり書くのだなーと書くのを面倒がる私には耳が痛い。

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